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ハルピン市内観光 その1 [中国東北部、旧満州の旅(15年6月)]

仕事が忙しい!旅行記再開するぞ。
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ホテルの隣が人民解放軍の訓練所?みたいだった。
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朝の渋滞
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ロシア正教会 聖ソフィスカヤ大聖堂。この後で観光する。
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旧満鉄の社宅だった建物。建物自体はロシア人の家だったそうですが、満州国時には社宅。戦後~現在は主は中国人に変わって現在では商店が並ぶ。
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ここからハルビン工業大学の校舎。前身はハルビン中露工業学校で東清鉄道を運営していた奉天軍閥が鉄道技術者の育成を目的に開校したものだった。
wiki「ハルビン工業大学」
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『うどんの国の金色毛鞠』 [本・漫画]




公式サイト http://www.udonnokuni-anime.jp/

珍しくアニメ紹介!
香川県PRに一役貢献するぞ!

10月8日より日本テレビ系各チャンネルにて放送開始!

地元香川ではローカル線『琴平電鉄』も去年からラッピング車が走っていたりと秘かな盛り上がりを見せておりました。静かで優しい愛あふれる世界の物語です。コミックスも発売中!

物語:東京でWEBデザイナーとして働いていた俵宗太(30歳)はうどん屋を経営していた父の訃報により、実家のある香川県に里帰りしていた。父の葬式も済み、東京に戻ろうという先に実家のうどん釜の中で眠る小さな男の子を発見する。どこの子供かはっきりしない宗太はしかたなくその子を保護するが、その子には尻尾も耳も生えており、仰天する。その子は狸だったのだ。

どこか見覚えのある香川の風景に狸の子供と30歳独身男性の奇妙な生活が始まる。

実際、香川でタヌキは多いです。他にも山にはイノシシ、サル、ウサギ、トマコ(イタチの仲間)などもいます。ローカルな話題が多い本作。地元の話題に触れて懐かしさを感じたりと、楽しんで読んでおります。

黒竜江省哈爾濱市 [中国東北部、旧満州の旅(15年6月)]

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大連北駅から中国新幹線CRH、哈爾濱西駅(ハルピン西)駅に到着。日本と同じく新幹線は専用駅が多い。
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中国語ガイドはリンさんという人だった。現在ハルピンでも建築ラッシュでここ4~5年で筍のようにマンションが建ち並び、市内は様変わりしているという。
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ロシア国境に近いところでもあって今日の夕食はロシア料理のお店。店内はアールヌーヴォというか完全欧羅巴インテリアの高級感あふれる雰囲気。
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店内を出ると丁度雨上がり。ハルピンの年間降雨量は500mm程で常に乾燥しているそうだがこの晩珍しく雨が降った様子。
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今日のホテルに到着。フォーチュン・デイ・ハルビン。
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大連北駅⇒哈爾濱西(ハルピン西)駅 [中国東北部、旧満州の旅(15年6月)]

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中国新幹線CRHの乗り心地は中々だった。2011年のあの事故の教訓は何か活かせられたのかしらと思いながらハイスピードで流れる外の風景を見ていた。
また終戦後、満蒙開拓団の人たちはこの広大な土地を着の身着のまま、我が子を背負い、野犬や盗賊、ソ連兵に脅えながら歩いていたと思うと胸に響く。この途方もない畑の中を、ただただ歩く心細さ。命がけの大移動だった。
若尾文子のデビュー作で『死の街を脱れて』(52年・大映)という映画がある。満州引き揚げの苦労が垣間見れる映画、お勧め。
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原発?
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中国・大連(ダーリェン)へ。 [中国東北部、旧満州の旅(15年6月)]

一年前の旅行を記事にしていきます。2015年5月末~6月の話。

毎年一回の家族旅行、私と姉と母の3人は今年はどこにしようと考えた先は中国、東北部。「いつかロシア国境付近の黒竜江省に行ってみたい。」と母は言っていたが、いいツアー先が見つからず、中国東北部を巡る旅にしようと決まった。旧満州あたりのこの地方は20世紀初頭は怒涛の歴史で日本も絡んだ大陸の数か国が絡んだ国勢の舞台にもなった場所です。見るべきものは多数あります。
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関空から大連国際空港へは2時間半ほど、機内食1回で「もう目的地?」といった感覚でついた。
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国内線並みの早さに驚く。
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到着した先は快晴。関空出発前は梅雨時で曇りがちな天気で、少し肌寒い感覚だったが大連は暑い。少し寒いかと防寒対策を少ししていたが拍子抜け。日差しも強かった。
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空港からバスで大連北駅に移動。中国版新幹線CRHに乗って哈爾濱(ハルピン)まで向かう。
大連北駅は2011年に開業。吹き抜けの大きな作りでとてもきれい。チケットを見せ、金属探知機を潜って駅の中に入る。
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出発まで少し時間がるので駅中の売店をブラブラ。青果も売ってる。新幹線の中で食べてもいいらしい。
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食べると千年生きるという蟠桃園の桃を孫悟空が盗み食いするという『西遊記』のエピソードがあるがこの果実は観賞用かな?食べると災いがありそう。
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大連は海に囲まれているので海鮮ものが多い。
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招き猫は日本発祥だと思うが商売繁盛の御利益の縁起物として中国でも人気になりつつある。風水に興味のない中国人もいるが縁起物に傾向する人は多い。
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ハルピンまで904km、(東京~福岡間の距離885km)遠い。
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2時間ほど待って新幹線へ。プラットホームへはチケットを提示してモギリをしてもらってから入れる。プラットホームへは簡単に入れないようになっている。ゴミ箱もない。
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大連北駅から出発。少々振動はあるが静か。新幹線に余り乗らない私には十分静かに感じました。
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大連北駅で買ったスモモを頂く。ハルピンまで4時間。
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コトルの街 その2 [モンテネグロ旅行記(14年6月)]

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モンテネグロと日本の歴史、書類上の100年戦争。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%A2%E3%83%B3%E3%83%86%E3%83%8D%E3%82%B0%E3%83%AD%E3%81%AE%E6%AD%B4%E5%8F%B2#.E9.80.A3.E9.82.A6.E5.86.8D.E7.B7.A8.E3.81.8B.E3.82.89.E5.86.8D.E7.8B.AC.E7.AB.8B.E3.81.B8
https://www.youtube.com/watch?v=g6gZx0iEfP0
日露戦争が1904年~5年、モンテネグロ国王ニコラ一世の治世から憲法ができたのが1905年。独立はその前の1878年からで、まだまだ国として出来上がっていなかったころのモンテネグロ(日本も憲法公布は1889年)。実際、宣戦布告したという書類もなく、ポーツマス条約ではロシアが呼ばずに忘れ去られ、日本は参戦していたかどうかも知らなかったという。
ロシア、セルビアは先祖代々の領土を奪い返した国(露土戦争後、ベルリン会議で領土確定)、ということならロシアの敵は日本ということで義勇兵を満州に送ったということまではわかっている。そもそも義勇兵の定義は自発的に参加した正規軍ではない存在だ。

モンテネグロがセルビアから独立したのが2006年でわずか10年前。旅行当時は8年前でしたがモンテネグロ人も日本との宣戦布告の歴史は知らないように思う。なによりサラエボ事件がすぐ近くのボスニア・ヘルツェゴビナで起こったことからそちらの方が重要だ。
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聖ルカ教会。
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モンテネグロは地震国なので幾度か被害を受けている。聖トリフォン大聖堂の二つの鐘楼は修復されているが実際は北側にもう一本あったという。
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アイスクリームを頂く。ユーロに入っていないのにユーロが流通貨。不思議。思えばこのカフェテラスはアイスクリーム屋さんのではなかったのでは?
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滞在2時間ほどでコトル観光は終わり。滞在時間が短いのはモンテネグロ国境の通過審査でスケジュールがうまく組めない為だったが早目に終わり、コトル観光も早々としていなければドゥブロヴニクのように半日かけて滞在したいところだった。
モンテネグロ、アドリア海側のスベティ・ステファン。『007』シリーズでも舞台になったという美しい出島。バスが途中止まってくれました。
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止まった道路にあったお土産売り屋さん。
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モンテネグロの首都、ポトゴリッツァまで。
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首都のポトゴリッツァの観光ができないのは残念でしたがこの後イスタンブールへ(2時間)。ビジネスクラス利用者のラウンジで7時間を待ち抜き(高級感ある場所でシャワーあり、食事もできて何も不自由しなかった)、イスタンブールから11時間かけて関空へ。(食事は行と同様のビジネスクラスの食事サービスが寝る前にある。食べきれない。
今回は体調が崩れることがなかったのでよかった。ビジネスクラスという贅沢な旅でしたが何より素敵な観光地、(スロベニア、クロアチア、モンテネグロ)アドリア海が美しい。食事が美味い。とすべてがそろった観光でした。

週末忙しくて旅日記に色々時間が掛かってしまいましたがこれにてスロベニア、クロアチア、モンテネグロ旅行記は終わりです。見てくださった方ありがとうございます。

コトルの街 その1 [モンテネグロ旅行記(14年6月)]

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アドリア海の湾にある港街。コトルは1979年に世界遺産登録。14世紀から17世紀末までのヴェネチア共和国の支配下で様々な建築物が建てられた。城壁は当時の物。
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ドゥブロヴニクでの印象もそうだったけど、迫りくる石灰岩の山の下で密集した町並みがとてもいい風情。
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城壁手前の入り口駐車場。世界遺産なので観光客も多いがこの日は少なかったと思う。
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聖トリフォン大聖堂
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そこにいると踏みそうで怖い。
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小さな門から外へ出られる。
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モンテネグロ入国、コトルへ。 [モンテネグロ旅行記(14年6月)]

クロアチア旅行はドゥブロヴニク編で終わりでしたね。
夕食の後は前日泊ったホテルで一泊。次の日は飛行機の時間もあるのでモンテネグロ入国は朝は早く出ないとダメだった。(元ユーゴスラビア連邦の関係は入国審査の時間が物語っている。スロベニアとクロアチア間の入国審査はあっという間だった。ボスニア・ヘルツェゴビナも時間はかからなかった。スロベニア、クロアチアの独立でユーゴスラビア連邦は崩壊。セルビア・モンテネグロに国名変更前まではクロアチアの独立に最後まで反対を取っていた。敵愾心をむける国からの入国者は念入りに審査されているので時間がかかる場合がある。)
時間がかかってしまうとコトルの観光も無理になってしまう。ホテルで用意してくれた朝食をバスの中で食べる。
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モンテネグロ(Montenegro 黒い山)と書くことからとにかく山の渓谷が印象的だった。オスマン帝国の影響下にあったのがオーストリア・ハンガリー帝国→ロシア、セルビア影響下に変わり、ユーゴスラビア連邦に。連邦崩壊後はセルビアとの独立機運が高まって2006年6月に独立した。
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入国は思ったよりスムーズに進んだがパスポートのチェックは念入りだった。モンテネグロ入国後のガソリンスタンドで休憩。アメリカンコーヒーを分けて飲んだ。
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コトル湾に到着。巨大なフィヨルドの対岸麓に世界遺産コトルの街がある。
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ドゥブロヴニク その8 [クロアチア旅行記(14年6月)]

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ドゥブロヴニク編はこれにて終わり。
戦争資料館の屋上は内戦当時とそれほど変わっていない雰囲気だった。
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天気雨か向こうボスニア・ヘルツェゴビナあたりは雨のよう。
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同じところの写真がありました。
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砦付近に放牧されているのか牛がいた。
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ロープウェイで戻ってアイスクリームを頂いて集合場所に戻る。
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ドゥブロヴニクのすぐそばのレストランで食事。未だかつて経験したことのない美しい場所だった。
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ドゥブロヴニク その7 戦争資料館 [クロアチア旅行記(14年6月)]

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ドゥブロヴニク、スルジ山山頂、この地域一帯で行われた戦争資料館にて一枚。(クロアチア独立戦争、クロアチア紛争、独立紛争等、表記さまざま。)マニアックな話が続きます。
撃破されているのはクロアチア派(赤白チェックの模様はクロアチアの国章『シャホヴニツァ』)のT-34/85戦車。
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撃破してポーズをとるのはクロアチア独立派の武装勢力だと思うが、敵はもともとユーゴスラビア連邦の同じ国の人間同士だった人たち。武器も装備も似たようものだったと推測する。セルビア語とクロアチア語は方言程度しか変わらない。
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第二次大戦中のアメリカ軍駆逐戦車M36ジャクソン。オープントップの砲塔に砲弾の破片対策か鉄板を追加したユーゴ軍仕様。チトー独裁政権中は冷戦中なのに中立を取っていたためにソ連、アメリカ両方から兵器を輸入していた。
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上の写真の兵士のヘルメットは東ドイツ軍なのに迷彩服は西側の影響が強い。下はユーゴ軍のヘルメット。アメリカ軍ともドイツ軍とも違う。
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兵器マニアには興味深いMG42。
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トリガーもグリップもないや…。
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ツァスタバM76狙撃銃(ユーゴスラビア製)
こういった兵器も内戦終了後は安価に海外へ流出してテロに使われたりといいことはない。
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砲撃着弾の跡を地図に書いたもの。