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ウズベキスタン旅行記(13年6月) ブログトップ
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ウルグ・ベク天文台跡→タシケントから帰路へ。 [ウズベキスタン旅行記(13年6月)]

ウズベキスタン旅行記、これでラスト!

ツアーのスケジュールでは昨晩ナイトショーを観たレギスタン広場で観光の予定でしたがこの国の政治家が訪問するということで観光客の締め出しが行われていました。ちょうどインド?パキスタン?の観光客団体がいてカメラを持っていた私に手持ちのカメラを渡して記念写真を撮ってくれと頼まれる。この旅で2度目。一眼レフにショルダーバッグを持っていたからいかにも観光客という恰好だったからか?素直に撮ってあげた。
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こちらの警察官はケピ帽をかぶっていてどことなくフランスの影響を受けている。色は青緑っぽい色。
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ウルグ・ベクはチムールの孫だが中世イスラム世界で偉大なる天文学者でもあった。この天文台も1449年には保守派のイスラム教徒によって破壊されるも、この天文台で計測した太陽年を365日5時間49分15秒と導いた。これは最新の機器で計算した時間の値と+25秒の誤差でコペルニクスの計算した値より、5秒ほど正確。当時の天文学が進んでいたという証拠になっている。
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発掘された地下の六分儀。当時としては世界最大。1908年まで土に埋もれていて天文台跡は場所さえわからなかった。
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お昼を食べてタシケントまで走る。途中今までにない山岳地帯を抜ける。天山山脈が見えたが乗車時に真ん中に座ったので写真を撮れず。
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途中コウノトリの巣があるぞとドライバーが車を止めて小休止。
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タシケントに到着。夕食を食べて帰路につく。夕食を食べた後に胃のむかつきを覚えたが中継のインチョンについてもそのむかつきは治まらず、日本帰国途中の機内のトイレで戻す。入国審査はスムーズにいったが部屋について熱を測ったら38度6分。翌日には休んで熱も下がりましたがサーモグラフィーで入国審査があるはずですがよく通過できたと後になって思う。ブハラでモスクの管理に祈祷してもらったからか?アラーのご加護をうけたのか?

いつになく砂漠を走ってみてその広大さに気づく。当時6月はとても暑かったがよい季節に旅行をしたなと改めて思う。2013年6月に旅行してから約2年も掛かってしまったウズベキスタン旅行記もこれで終わりです。これが恒例ですが時間がかかったのは仕事が忙しくなったこととフィルムスキャンに時間がかかったことです。それにより次の年はフィルムメインからデジカメに移行しました。フィルムはサブになりましたがその良さを考えていこうと思っています。
ウズベキスタンは中央アジアですが、未知なるアジアの大陸を感じる広大な風景が印象的なとても魅力があるところでした。アジアとヨーロッパを結ぶシルクロードの旅情もまたいい。絨毯の美しさ、陶器、食べ物の発見も多く日本との関係や歴史にふれて勉強になる旅でした。

ブハラからタシケントまでハイエースを運転してくれたウサンさん、日本語堪能なガイドのマリカさん、感謝です。

アフラシャブの丘、歴史資料館 [ウズベキスタン旅行記(13年6月)]

アフラシャブ・ミュージアムの裏に『アフラシャブの丘』があります。
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チンギス・ハーンがこのサマルカンドの地を破壊する前にはアフラシャブの丘には紀元前500年~紀元後1220年の間、街が存在していたそうです。水道の設備が作られ、街は栄えていたそうですが、チンギス・ハーン率いるモンゴル軍が街を徹底的に破壊。建物は一切なくなり、この丘の地下から出土する遺跡が街があったことをわずかながらに残すだけになってしまいました。一つの街や人種までも駆逐するチンギス・ハーンとやいかに恐ろしい存在だったのか…。
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歴史資料館の中に入ったところで停電。ウズベキスタンもまだまだインフラが充実していない様子で真昼間だが窓の少ない資料館の中を懐中電灯で説明を受ける。エアコンも止まって暑い。
シルクロードを中心にソグド人の紹介も。
ソグド人とは紀元前から12世紀ころまでシルクロードの交易経済を実質的に支配していた民族。定住を持たずに商業を得意とし、独自のソグド語を話、ソグド文字(ウイグル文字の祖)を使っていた。

定住を持たなかったので12世紀ごろには民族性はイスラム化か他の民族に吸収されてしまったという現在でも謎が多い。現在でもソクド語を理解するのは世界で二人。ロシアの人類学者と一人は何と日本人、現在でも遺跡発掘に活躍中の国立民族学博物館名誉教授の加藤九祚氏。ウズベキスタンで著名な日本人というとこの方。
1998年、ウズベキスタン科学アカデミー考古学研究所と共同で、テルメズ郊外カラテパでクシャン時代の仏教遺跡の発掘を開始、現在も発掘継続中。
2002年ウズベキスタン政府より「ドストリク」(友好)勲章、テルメズ市より「名誉市民」章を受ける。
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出土したオマルという遺骨を納める入れ物。
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シャーヒ・ズィンダ廟群 その2 [ウズベキスタン旅行記(13年6月)]

廟群の中の一つに入りました。これだけ密集してると、どれがどれだかわからないのです。
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写真がこれ一枚しかないが廟の外で出くわした現地観光ツァーのご婦人たち。民族柄のワンピース姿はこの聖地廟群でもっとも映える場所ではないだろうか?そして日本人かとわかるととてもにこやかに話しかけてくれる。イスラム教では女性一人が出歩くことはないというが同性のお付き合いの隣人、義母、姉妹、友人関係なら遠出も可能になるらしい。
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シャーヒ・ズィンダ廟群 その1 [ウズベキスタン旅行記(13年6月)]

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ティムール一族の眠る廟が連立するシャーヒ・ズィンダ廟群。イスラム教にも関係が深い場所でこんな話がある。

676年に預言者ムハンマドの従兄であるクサム・イブン・アッバースが、イスラム教の布教のためにここサマルカンドを訪れたそうです。 しかし翌年、彼は礼拝中にゾロアスター教徒に襲われて、首を切り落とされてしまいました。 ところがアッバースは何事もなかったかのように礼拝を終え、自分の首を拾って、深い井戸に潜って行きました。 彼はそこで永遠の命を得て、イスラムが危機に陥ったときに助けに現れるそうです。 二度シャーヒズィンダ廟群に礼拝に来ると、メッカに一度行ったのと同じだとみなされるそうです。

メッカ巡礼『ハッジ』というとイスラム16億人の憧れですが、それがこの地で2回でできます。
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通称『天国への階段』は行と帰りで段数が同じであると夢が叶うそうです。他にも段数は決まっており、(何段あるかメモを忘れた)ちゃんと数えられると夢が叶い、途中で数え間違えると煩悩があるという教えがあるそうです。
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廟群の空間だけは青タイルの通りになっていてとても美しい。タイルもモザイク、アラベスクの形をしたタイル等さまざま。統一感があるも個性豊かでとても趣がある。
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シヤブ・バザール、シャーヒズィンダ廟群 [ウズベキスタン旅行記(13年6月)]

一夜明けてサマルカンド観光へ。シヤブ・バザールはサマルカンド最大の市場。訪れた時は賑わいはすでになく、少しガランとした雰囲気。ナッツ、ドライフルーツがたくさん売られていた。特にウズベキスタンはドライフルーツがおいしく(味がとても濃い印象)お土産にいくつか持って帰った。
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市場のナッツ売りのおじさん。ちょっとウォルター・マッソーに似てる。
次にシャーヒズィンダ廟群へ。
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レギスタン広場  [ウズベキスタン旅行記(13年6月)]

もう二年近く前になってしまいましたね。早くウズベキスタン旅行記終わりにしたいです。もう少しです。

グリ・アミール廟の観光後は陽も傾いた夕方だった。一旦ホテルにチェックインし、夜のライトアップショーを観にレギスタン広場へ。

シルクロードの象徴的場所でもあるレギスタン広場は左からウルグ・ベク・マドラサ、ティラカリ・マドラサ、シェルドル・マドラサが『コ』の形に並んでいる。キャラバン隊がサマルカンドに始めて到着する場所で、バザールや催し物が開かれたりしていたとのこと。
世界遺産でもあるので入場制限があり、ライトアップショーも各国観光客専用にショーを行っているそう。守衛さんに予約確認後入場。
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ガランとした数百の空席に日本人6人が座る。ナレーションとBGMによるドラマが展開と同時にライトアップされ、マドラサが様々な表情を見せた。世界遺産を前にして壮大なショーが見られると意気揚々としていたのですが、致命的なことに音響設備が悪く、前席の特等席なのに何を言っているか聞き取りづらかった。演じているのは役者だったのか?少々滑舌がわるかった。30分ぐらいで終了。その日はホテルに帰った。
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次の日の旅行最終日、最後の観光がレギスタン広場だったのですが、丁度この国の政治家がやってくるというので警備の関係で観光客の締め出しが行われていた。突然予定外のことがあるので困る。この時隣にインドかパキスタンの観光客が大勢いたのだが、突然写真を撮ってくれと頼まれる。驚いたことにウズベキスタンを旅行中に2回も写真を撮ってくれと頼まれた。外国人の私に、グリ・アミール廟では若者二人連れに携帯電話を渡され、撮影し。今度はこのレギスタン広場で他の外国人観光客に頼まれた。私が一眼レフを首から下げていたからか?外国では人に物を渡す時には注意しろと教わるのに不思議な体験だった。
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グリ・アミール廟 [ウズベキスタン旅行記(13年6月)]

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サマルカンドのランドマークといえばレギスタン広場とここ、グリ・アミール廟。ティムール一族が眠る。1403年に最愛の孫ムハンマド・スルタンを亡くしたのを機に建築を開始。ティムール自身は故郷のシャフリサーブスのアクサライ宮殿近くに墓の建築を進めていたようですが、1405年に中国の軍事遠征中に亡くなると、冬の雪でシャフリサーブスへの道が閉ざされたので仕方なくここに埋葬されたとのこと。
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真ん中をティムールの棺にして正確に東西南北に棺を置いている。
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装飾は全て金。実は何度も盗難の被害があったようですが1996年の修復の際には3kgの金が使われたとのこと。
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ティムールの棺を中心にして
北側:ティムールの師のミルサイード・スルタン、孫の一人
南側:ウルグ・ベク(孫)
東側:ムハンマド・スルタン(孫)
西側:シャー・ルフ(息子)、ミランシャー(息子)、孫の一人
だそうです。

実際に棺の中にはティムールの遺体はなく、この地下3メートルの所に遺体が安置されているそうです。裏口から入る所があるそうですが一般公開は禁止。
1941年6月22日にソ連の考古学者がティムールの棺を開けて調べたところ、ティムールの右手左足が不自由だったことが確認されました。棺の裏には

『私がこの墓から出た時には大きな災いが起こるだろう。』

と書いてあったそうです。その数分後、ドイツ軍がソ連に侵攻を開始したニュースが飛び込んできたという嘘みたいな話があるそうです。4年の戦争の後、ソ連軍はドイツ軍を撃退しますが1500万~2000万の死者を出すことになります。恐れを感じてティムールの棺の蓋は二度と開けられないように溶接されてあるそうです。
ティムールの征服戦争(中央アジア、ペルシャ、トルキスタン、イラク、シリア、南ロシア、インド)の死亡者数は推定2000万人ということですがモンゴル帝国再建の野望を抱いたティムールはここに眠っている。
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シャフリサーブス→サマルカンド [ウズベキスタン旅行記(13年6月)]

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シャフリサーブスからサマルカンドまでハイエースに乗って3時間。
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逆光で撮影したのでどれも写りが暗い。
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一面の小麦畑に一本の道路は憧れの風景だったかもしれない。
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サマルカンドに着いた。
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ドルッサオダット建築群 [ウズベキスタン旅行記(13年6月)]

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ドルッティロヴァット建築群の少し離れたところにドルッサオダット建築群があります。
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ハズラッティー・イマム・モスク
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シャハンギール廟。落馬事故によって早世したティムールの長男シャハンギールが眠る。
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肝心の棺の写真があらず(?)廟自体は質素な印象だった。
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ヨーロッパのファッションに登場して近年流行しているという絣(かすり)模様『アトラス』とウズベクの刺繍『スザンニ』が入ったバッグなどの露店。
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遠目にドルッティロヴァット建築群。
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ウズベキスタンは本当に水色の国といった印象で現地の人たちも着ている服が水色の物が多かった。
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シャフリサーブスの観光はこれで終わり。ここからサマルカンドまで移動です。
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ドルッティロヴァット建築群 [ウズベキスタン旅行記(13年6月)]

ティムールは故郷のシャフリサーブスに思い入れがあったのかアクサライ宮殿の建築から都市計画が始まり、町はさまざまな施設ができた。が、冬季の交通の便が悪かったので首都をサマルカンドに移したそうだ。

移動時間もそこそこで建築群を集中して回ったので整理できず、誤記載あるかもしれません。あしからず。
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世界遺産のある古都でもあるシャフリサーブスなのだが高い建物は一切ない。
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アクサライ宮殿の後でドルッティロヴァット建築群へ。
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コク・グンバス・モスクへ。
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モスクの外でお土産売りのおばさんたち。実はこの旅一番の写真だと思うのがこちら。現地ガイドのマリカさん(日本人みたいな名前だが他でも同じ名を聞いた。一般的なのだろうか?)と談笑する。いい笑顔。
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