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モンテネグロ入国、コトルへ。 [モンテネグロ旅行記(14年6月)]

クロアチア旅行はドゥブロヴニク編で終わりでしたね。
夕食の後は前日泊ったホテルで一泊。次の日は飛行機の時間もあるのでモンテネグロ入国は朝は早く出ないとダメだった。(元ユーゴスラビア連邦の関係は入国審査の時間が物語っている。スロベニアとクロアチア間の入国審査はあっという間だった。ボスニア・ヘルツェゴビナも時間はかからなかった。スロベニア、クロアチアの独立でユーゴスラビア連邦は崩壊。セルビア・モンテネグロに国名変更前まではクロアチアの独立に最後まで反対を取っていた。敵愾心をむける国からの入国者は念入りに審査されているので時間がかかる場合がある。)
時間がかかってしまうとコトルの観光も無理になってしまう。ホテルで用意してくれた朝食をバスの中で食べる。
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モンテネグロ(Montenegro 黒い山)と書くことからとにかく山の渓谷が印象的だった。オスマン帝国の影響下にあったのがオーストリア・ハンガリー帝国→ロシア、セルビア影響下に変わり、ユーゴスラビア連邦に。連邦崩壊後はセルビアとの独立機運が高まって2006年6月に独立した。
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入国は思ったよりスムーズに進んだがパスポートのチェックは念入りだった。モンテネグロ入国後のガソリンスタンドで休憩。アメリカンコーヒーを分けて飲んだ。
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コトル湾に到着。巨大なフィヨルドの対岸麓に世界遺産コトルの街がある。
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ドゥブロヴニク その8 [クロアチア旅行記(14年6月)]

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ドゥブロヴニク編はこれにて終わり。
戦争資料館の屋上は内戦当時とそれほど変わっていない雰囲気だった。
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天気雨か向こうボスニア・ヘルツェゴビナあたりは雨のよう。
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同じところの写真がありました。
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砦付近に放牧されているのか牛がいた。
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ロープウェイで戻ってアイスクリームを頂いて集合場所に戻る。
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ドゥブロヴニクのすぐそばのレストランで食事。未だかつて経験したことのない美しい場所だった。
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ドゥブロヴニク その7 戦争資料館 [クロアチア旅行記(14年6月)]

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ドゥブロヴニク、スルジ山山頂、この地域一帯で行われた戦争資料館にて一枚。(クロアチア独立戦争、クロアチア紛争、独立紛争等、表記さまざま。)マニアックな話が続きます。
撃破されているのはクロアチア派(赤白チェックの模様はクロアチアの国章『シャホヴニツァ』)のT-34/85戦車。
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撃破してポーズをとるのはクロアチア独立派の武装勢力だと思うが、敵はもともとユーゴスラビア連邦の同じ国の人間同士だった人たち。武器も装備も似たようものだったと推測する。セルビア語とクロアチア語は方言程度しか変わらない。
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第二次大戦中のアメリカ軍駆逐戦車M36ジャクソン。オープントップの砲塔に砲弾の破片対策か鉄板を追加したユーゴ軍仕様。チトー独裁政権中は冷戦中なのに中立を取っていたためにソ連、アメリカ両方から兵器を輸入していた。
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上の写真の兵士のヘルメットは東ドイツ軍なのに迷彩服は西側の影響が強い。下はユーゴ軍のヘルメット。アメリカ軍ともドイツ軍とも違う。
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兵器マニアには興味深いMG42。
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トリガーもグリップもないや…。
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ツァスタバM76狙撃銃(ユーゴスラビア製)
こういった兵器も内戦終了後は安価に海外へ流出してテロに使われたりといいことはない。
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砲撃着弾の跡を地図に書いたもの。
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ドゥブロヴニク その6 スルジ山 戦争資料館 [クロアチア旅行記(14年6月)]

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ここから自由時間で内戦資料館のあるスルジ山(412m)山頂へと向かう。一旦ドブロブニク城壁の外に出てロープウェイで一気に山頂へ。人の足で登るとなると1時間ほどかかるという急こう配。内戦時には破壊されたが2010年に再開されたとか。
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山頂は資料館の他に山頂からの絶景を楽しむレストランなどもあって綺麗な印象だった。対照的に内戦時の砲撃にも耐えた資料館はボロい印象。
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スルジ山山頂から北へ5kmも行くと国境なので向こうの山はボスニア・ヘルツェゴビナ領かな?麓のドブロヴニクとは一変静かな山頂。
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ナポレオン軍の占領時(1806年~1816年)に要塞として建築された建物はある意味歴史建築なのだが内戦時はドブロヴニクを一望できる要所にもなるので、ここでクロアチア独立派武装勢力はユーゴスラビア連邦軍と激しく抵抗したそうだ。
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チケットを購入して入る。中はうす暗く少し涼しい。兵器の展示もある。兵器に詳しい人が見ればわかると思うが第二次大戦中のアメリカ軍兵器(トンプソン・サブマシンガン)ドイツ軍(kar98kライフル、MP40)ソ連軍(PPSh-41)や、戦後東側兵器(AK47、RPG)にユーゴスラビア連邦製兵器(ツァスタバM70)と多種にわたる。兵站の考え方では銃器の弾丸の規格口径、部品が多いと大混乱を招くので嫌われると思う。
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ここを守り切った民兵?のスナップ写真が色々。
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このスナップと同じ場所が資料館の中にありました。当時たった20年ほど前の話。
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砲撃を受けるドブロヴニクの街の様子のTV報道やドキュメンタリーの上映もやっていました。
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